ご挨拶

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平安女学院 理事長 毛利 憲一

平安女学院は、今の大阪市西区川口にあった外国人居留地に1875年、明治8年に開校しました。創立者で初代校長は、米国聖公会から派遣されたエレン・G・エディで、彼女が既にあった聖テモテ学校に来校した3名の女子生徒に英語を教えたのが、本学の始まりです。1880年には、校名を「照暗女学校」とし、英語の学校名をSt. Agnes’ Schoolといたしました。聖アグネスは、西暦305年ごろのローマ帝国時代、弾圧によって12歳または13歳で殉教し、後に聖人とされた女性です。1月21日は殉教日であると伝えられています。

学院は1894年に京都の現在の地へ移転し、校名を「平安女学院」と改めました。1894年は、ちょうど平安京遷都から1100年という節目の年でもあります。京都では明治館などの校舎を建設し、新たに生徒を募って、1895年4月から授業を開始しました。その2年後には、現在の聖アグネス教会礼拝堂が献堂されました。

以降150年以上にわたり、本学院は、キリスト教主義を基盤とした女性のための教育を行い、社会の多方面で活躍する多くの卒業生を輩出して参りました。創立以来、数々の困難がある中で、学院の教育を守り育て、発展に尽くされてきた方々、特に、日本聖公会の初代主教で、幕末以降日本での伝道に尽くし、本学院の創立にも大きな功績のあったウリアムス主教をはじめとする米国聖公会と日本聖公会の方々の尽力を忘れることは出来ません。

本学院の教育は、常にキリスト教の教えと共にありました。校章が象徴する「信仰・希望・愛」という3つの精神、川口での学校の設立に尽力したクインビー司祭のことばに基づく「知性を拡げ、望みを高くし、感受性を豊かにし、そして神を知らせる」という建学の精神。高校・中学の学則にある「キリスト教精神に基づき、自他の人間としての価値を尊び、真理と正義を愛する人格の完成」、あるいは大学の学則にある「キリスト教の精神にもとづく教育を通して自由で自立した人格を形成」するといった教育の目的・目標のいずれにも、キリスト教の精神にもとづく教育によって、すぐれた人格を育成することが学院の存在意義として据えられています。創立時から女性をとりまく社会的な環境は大きく変化・改善しましたが、まだまだ課題は少なくありません。これからも、我々の学院の基礎にあるこの理想を失ってはいけないと思います。

さて、現在の学院は、小規模私立学校として、経営において様々な課題を抱えています。大学も、中高も、こども園も、本格的な少子化・人口減少の時代を迎え、戦後の一時期、3000名を超えた学生・生徒数が、現在は半分ほどの数になってしましました。しかし、本学院が1875年に始まったときの生徒数はたったの3名でした。長い歴史のなかで、それぞれの時代の困難は必然的にやってきます。そのことを思えば、将来を悲観することは無いのかもしれません。

150年の歴史を顧みますと、我々は、ウイリアムス主教やエレン・G・エディの始めた学校の「建学の精神」を大切にしつつ、それぞれの時代の求めに応じた教育、学校種、教育課程を用意して、教育の事業を繋いできました。建学の精神と時代の要請、この2つが、双方ともに欠くべからざる両輪だったということが、歴史を振り返って感得できたことです。我々の教育の理想を堅持し、未来にむかって学校を続けていくことができるように、すべきことをひたむきに続けて参りたいと思います。
 
これからも、建学の精神にあるキリスト教主義の教育、一人ひとりを大切にする教育を基本にしながら、混沌として予測不可能なこの時代に求められる教育とは何かを真摯に問いかけ、我々の学校を未来に向けてつないでいくことができるよう、努力をして参りたいと存じます。困難は数々ありますが、主体的にそれぞれの課題に取り組み、新しい世代にこの学院を受け渡せるよう、教職員一同、励んでまいる所存です。

平安女学院 院長 大岡 左代子

平安女学院院長就任にあたりご挨拶申し上げます。

平安女学院は1875年に始められた「エディの学校」(大阪・川口居留地)、「照暗女学校」の時代を経て1894年、京都の地へ移転、校名を「平安女学院」と改名しました。開校以来150年間、本学は女子教育を大切な使命として歩んでおりますが、その土台にキリスト教精神があることは言うまでもありません。

創世記2章に人間創造の物語が記されています。神が土くれから造った人のその鼻に命の息を吹き入れると、人は「生きるもの」になりました。これは神話的要素が強い物語と言われますが、背景には「人はなぜ生きているのか」という人間存在に関わる古代の人々の問いがありました。キリスト教はイエス・キリストの教えを信仰の礎としていますが、その根底にはこの「神によって生きるものとされた」という人間理解があり、そこには何でも人間ができると考える人間の傲慢さを抑制する思想があります。

本学が、「人はなぜ生きているのか」という最も根源的な問いについてキリスト教を通して考え、一人ひとりが自らを生き、他者と共に生きる学び舎であるよう努めたいと思います。

学校法人平安女学院

学校法人平安女学院